このブログでは、私が夢中になった映画やミステリーなどエンタメ関連全般について書いていきます。
そこで、そもそもなぜ映画に魅かれたのか。
また、映画鑑賞は現実逃避ではないか、という意見を聞いたことがあるので、それについて自分なりの考えを述べようと思います。
なぜ映画を好きになったのか?
今ではレンタルビデオ(実際はレンタルDVD、レンタルブルーレイですね)で映画やドラマを借りるのは当たり前。
ネット配信で見ている人も結構いますよね。
でも、小学生の頃、亡き父に連れて行ってもらった特撮映画のことが忘れられません。
その映画は、テレビでヒットしたドラマの最初の数話分を映画にしたものでした。
映画館の入り口で、厚紙で作った眼鏡のレンズ部分に赤と青のセロファンを貼ったのを渡されました。
その眼鏡を通して画面を見ると、出ている怪獣などが立体的に見えるというわけです。
ちょっと薄っぺらな感じはしましたが、映画空間というものに興奮しました。
幼い頃は、暗闇というのは怖さと共に、怖いもの見たさという感情もあった気がします。
その後、父には怪獣映画に何本か連れて行ってもらった後、高校時代に一度だけ二人で映画館に行ったことがあります。
今はほとんど残っていない名画座も、その頃はまだたくさん残っていて、2本立てで高校生が見るのにちょうどいい映画を父が選んでくれましたね。
この時点では、私は映画熱に目覚めていなかったので。
テレビの洋画劇場は見ていましたが、積極的に映画館に足を運ぶという感じではなかったです。
そうそう、回転寿司が出始めた頃で、見終ったあと二人で食べた寿司のことは忘れられません。
父は、こっちの方がメインだったのかな?
同じ映画でも、自宅で明るいところで見るのと、映画館の暗闇の非日常的な空間で見るのとでは、何というか体感が違うんですよね。
昔の名画座だと、椅子が壊れたままになっているので、注意して座らなければいけなかったり、おじさんのイビキがうるさかったりしました。
純粋に映画の中身を見るのでしたら、落ち着いて家で見た方がいいのかもしれませんが、
不都合な分を含めて、映画館の雰囲気が大好きだったといえます。
暗闇から明るい日常に戻るその瞬間も好きでした。
ですから、映画を好きになった最初の理由は、内容より映画館の雰囲気そのものだったといえますね。
また、テレビだけで映画を見ていた時は、ストーリーがちゃんとわからないと、「何だこの映画は」などと思っていましたが、足しげく映画館に通う内に、「何でもありなんだ」と思うようになりました。
あくまで映画監督の描く世界なわけだから。
それをどう捉えるかは、受け手である自分が決めることだと、思いました。
映画を見ることは現実逃避なのか?
結論から言うと、現実逃避で構わないと思います。
誰もがいつ何時でも強いわけではない。
現実から逃げたままで戻ってこないのはまずいと思いますが、一時的な緊急避難として映画を活用するのは充分ありです。
実際私も学生時代、言葉がスムーズに出てこないことに悩んでいて、対人関係に全然自信を持てませんでした。
そんな時に、一時的でも厳しい現実を忘れさせてくれ、なおかつ気分を高揚させてくれる映画には随分救われました。
当時はどうしてもストーリー中心で見ていたので、俗にいう感動ものを見ることが多かったと思います。
うさ晴らしになり、勇気ももらえるといった感じでしょうか。
でも、完治しなくても自分の中で乗り越えた今となっては、映画を現実逃避だけに用いるのは大変もったいない、と思っています。
総合芸術といわれるだけあって、映画にはいろいろな側面があります。
芸術であり、娯楽であり、真実であり、虚構でありといった具合です。
現実逃避は、それらのごく一部に過ぎません。
現実からいったん離れて、自分を俯瞰的に見てみる。
その時に、映画で培った様々な視点は、きっと活きてくると思います。
現在では、昔見た映画をもう一度味わいながら見直してみよう、という気持ちが強いです。
まとめ
以前、ポッドキャストを聴いていて、印象に残った言葉があります。
映画監督の仕事は、もちろん表面的に意識できるところが面白いのは当然。
でも、一番は無意識に語りかけて、無意識に気分が高揚していく。
高揚したり、喜怒哀楽をお客さんに感じさせるのが、映画監督にとって最も重要な仕事です、というものです。
これからも、観るものとして映画の素晴らしいところをどんどん引き出していきたいと思っています。
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