ロバートデニーロの若い頃の出演作品をデビュー当時から考察

映画

2019年に公開された「アイリッシュマン」で主演を務めたロバート・デ・ニーロ。

今回は、ロバート・デ・ニーロの若い頃の映画を、名作「ゴッドファーザーpart2」以前に絞り、

 

  • ロバートデニーロの若い頃はブライアンデパルマ作品から
  • 「ミーンストリート」でマーチンスコセッシと初タッグ

について考察します。

また、この記事の後半では、デニーロについての動画を掲載しております!

ぜひ合わせてご覧ください!

 

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ロバートデニーロの若い頃はブライアンデパルマ作品から

名優ロバート・デ・ニーロですが、彼の個性を最初に引き出したのは、1960年代の後半にニューヨークで映画作りを開始したブライアン・デ・パルマといえるでしょう。

 

デパルマは、「御婚礼 ザ・ウェディングパーティ」(1969年)「黄昏のニューヨーク」(1968年)「哀愁の摩天楼」(1970年)で、デニーロを起用しました。

 

この「黄昏のニューヨーク」と「哀愁の摩天楼」ですが、正式名は「ブルー・マンハッタンⅠ&Ⅱ」でⅠには哀愁の摩天楼、Ⅱには黄昏のニューヨークという、作品とは何も関係がない邦題の副題がついています。

 

また、時代的には、Ⅱの方が早い時期のものです。

 

もっというと、「ブルー・マンハッタンⅠ」の英語の副題には、”Hi,Mom!(ハーイ、ママ)”、「ブルー・マンハッタンⅡ」には、”Greetings(挨拶状)”という副題が。

 

Ⅱの挨拶状は、ここではベトナム戦争への招集状のことで、Ⅰの「ハーイ、ママ」は、ベトナムからマスコミを使って母親にメッセージを送る母親への呼びかけの言葉になっています。

 

当時の世相を表していますね。

 

あらすじをいうと、「黄昏のニューヨーク」は、ベトナム戦争行きを何とか逃れようとしている3人の風来坊の話です。

 

デニーロ演じるジョンは覗きが趣味の男で、結局彼だけがベトナムへ送られてしまいます。

 

連作ともいえる「哀愁の摩天楼」は、いかがわしい映画を撮ろうとするジョンを主人公にして、ベトナム戦争、黒人差別などの混乱のニューヨークが描かれます。

 

当時のニューヨーク・インディーズの作品といえるでしょう。

 

そして、「御婚礼 ザ・ウェディングパーティ」

 

製作年は1969年になっていますが、この作品こそ、ロバートデニーロのデビュー作です。

 

話は、ニューヨーク郊外に住むチャーリーが、ジョセフィーヌと結婚するために友人とやってくるところから始まります。

 

二人の悪友は、何とかチャーリーの結婚を諦めさせようとあの手この手を使います。

そして、チャーリーが結婚に懐疑的になったら、逆に結婚はいいものだと勧めるという、コメディですね。

 

デニーロは新郎の悪友に扮しています。

 

初期に限らずデニーロ作品というと、なぜか薄ら笑いが印象に残っています。

 

普通薄ら笑いというと、いいイメージはあまりないと思うのですが、デニーロの役柄での薄ら笑いは、当たり前の役を裏切っていく積極的な意味合いを感じられます。

 

薄ら笑いの悪ガキが青年や壮年になってのちに、「タクシー・ドライバー」ミッドナイト・ランのデニーロに変化したといえるかも。

 

のちに、ロバートデニーロとブライアンデパルマは、「アンタッチャブル」で再びコンビを組みます。

 

ちなみに、私が一番好きなデパルマ作品は「ミッドナイトクロス」ですね。

 

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「ミーンストリート」でマーチンスコセッシと初タッグ

デニーロは、1960年代にオフ・ブロードウェイの舞台やデパルマの映画に出演して、

一部の注目を浴びました。

 

でもその後、ひどい脚本や演出のため、つまり作品に恵まれず、酷評され続けていたそうです。

 

そんな時に、「ミーン・ストリート」出演の話が持ち上がります。

 

最初、デニーロ自身はその作品に強く魅かれたが、何の役をやればいいか思い当たらなかったとのこと。

 

その時、友人でもあるチャーリー役を演じたハーベイ・カイテルに、「ジョニー・ボーイを演じれるのは君をおいていない」と推薦されたらしいです。

 

ロバートデニーロ演じるジョニー・ボーイは、少し軽薄でお調子者の不良青年。

 

いつも何をしでかすかわからず、周りに借金をしまくり逃げ回っています。

 

小心者で、そのくせ目立ちがり屋とくれば、何か問題を起こさないわけがありません。

 

この軽薄でお調子者、自分でも抑制のきかないそうしたキャラクターは、その後スコセッシと組むことになる作品の基本的な性格といえるでしょう。

 

私がこの映画を見たときに、強烈に印象に残ったシーンは、デニーロがいきなりレストランでズボンを脱ぎだし、ヘラヘラと笑っている場面でした。

 

ただこの時は、皮肉な薄笑いというより、ヘラヘラとしたもう少し子供っぽい笑いを感じました。

 

ところで、この「ミーン・ストリート」は、五反田の名画座の2本立てで観ました。

もう一本は、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

 

こっちの方がメインだったのですが、若いデニーロを見られてすごく嬉しかった記憶があります。

 

前述したデニーロの不遇時代。

 

この時に培われた監督不信の念は強く、当初マーチン・スコセッシとは口もきかなかったそうです。

 

でも、彼の映画への熱意、才能を知り、ついには親友になったとのこと。

 

このゴールデンコンビにより、この後「タクシー・ドライバー」「ニューヨーク・ニューヨーク」「レイジング・ブル」「キング・オブ・コメディ」と衝撃的な作品が発表されるわけです。

 

ロバート・デ・ニーロを始めて名画座で見たのは、この作品でした。

まとめ

ロバートデニーロの若い頃の映画で「御婚礼」などは、デニーロフリークというくらいの人でないと楽しめないかも。

 

でも、「ミーン・ストリート」や今回紹介できませんでしたが、「バング・ザ・ドラム」といった初期の作品は充分楽しめると思います。

 

共にまだ「ゴッドファーザーpart2」で衝撃的な日本デビューを飾る前で、エネルギーが満ち溢れていく途中です。

 

デニーロは、「ゴッドファーザーpart2」以降、大作主義の名優というイメージが強くなったと思うのですが、地味ながら実力を見せつけた味わい深い佳作といっていいでしょう。

 

デニーロの場合、マフィア映画、「告白」「ミッション」などの宗教映画(?)などいくつも顔を持ちますが、デビュー当時の作品に彼の本当の顔の一面が現れていると感じています。

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