スターウォーズの脚本家ローレンスカスダン監督の「偶然の旅行者」

映画

ローレンスカスダンといえば、スターウォーズシリーズの脚本家として有名です。

その後「白いドレスの女」で監督デビューし、ケビン・コスナーがファイナルカットで
登場シーンを全てカットされてしまった「再開の時」と続きます。

今回は、同監督で私が一番のお勧めの「偶然の旅行者」を紹介します。

商用や出張などでしか外国に行かない人に参考になる小ネタがありますよ。

人間ドラマとしても秀逸で、個人が再生するにはどういう環境が必要かがユーモアと共に丁寧に描かれています。

 

 

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ローレンスカスダンの「偶然の旅行者」とは

「偶然の旅行者」は、1981年に製作され、翌年日本でも大ヒットした「白いドレスの女」と同じゴールデン・トリオによって作られました。

 

その3人とは、ウィリアム・ハート、キャスリーン・ターナー・ローレンス・カスダン監督です。

 

主人公メーコン演じるウィリアム・ハートは、仕事で外国生活をするようになった人が不便を感じずにすむように、その国の細かな情報を具体的に紹介する旅行ライターです。

 

本来は出不精としか思えない人がこんな仕事をしているのは、不思議な感じがしました。

でも、個人でやる仕事が合っているのは、間違いないですね。

 

妻役のサラはキャスリーン・ターナーで、二人の間にはひとり息子がいたのですが、キャンプ帰りに強盗事件に巻き込まれて、不慮の死を遂げてしまいます。

 

映画の中では、顔を銃で撃たれたとありましたが、布で覆われたシーンだけで凄惨な場面を映したりはなかったです。

 

この事件以来、二人ともショックから立ち直れず、お互いに無口になり、円満だった夫婦に修復不能な見えない溝が広がっていくわけです。

 

メーコンは、息子を失くした後も、表面上努めて平静に仕事を続けていくわけですが、妻のサラにとってはそれが冷たいように感じられたのでしょうね。

ついには、離婚を言い出します。

 

でも、メーコンにしてみれば、一度弱音を吐いてしまえば、ダムが決壊するように全てがめちゃくちゃになることがわかっていたと思います。

 

結局、別居という形で落ち着きます。

 

ただ、それからのメーコンが大変。

几帳面で今までとおり家の中をきれいに保とうとするのですが、始めての家事だからてんてこまい。

 

脱いだ服がそのまま洗濯機に投げ込まれるようにスケートボードを使ったユニークな工夫をするのですが、愛犬のエドワード絡みで右足を骨折してしまいます。

 

メーコンの愛犬エドワードは、小型番犬ウォルシュ・コギー種のバドが抜擢されたわけですが、この映画において彼の存在はスパイスどころか、なくてはならないものになっています。

 

誰にでも噛みついてしまうエドワードのおかげで、犬の調教師のジーナ・ディビス演じるミュリエルに出会うことになります。

 

ミュリエルの大胆な服装はもちろん、自由な精神に驚き、振り回されながらも彼女と一緒にいると昨日までとは違う自分を発見するメーコンだったわけです。

 

ミュリエルの登場によって、停滞していた物語が動き出します。

 

クレジットでは、ウィリアム・ハートとキャスリーン・ターナーの名前が大きく出ていますが、それにしてもジーナ・ディビスは魅力がありますね。

 

この作品で、アカデミー賞助演女優賞を受賞しただけあって、自由奔放な中にも女性ならではの繊細な心遣いなども表現して、包容力抜群だと感じました。

 

彼女の包容力については、「ザ・フライ」でハエ男の婚約者を好演した時から気づいていました。

 

あくまでこの映画の中ですが、実際に女性とつき合うなら、美人度でいえばキャスリーン・ターナーだと思いますが、包容力・居心地の良さ、といった点では、ジーナ・ディビスに軍配があがりますね。

 

メーコンが、息子の死から未だ立ち直れていないことをミュリエルに告白してから、二人の間は急接近していきます。

 

そんな時に、去って行ったサラからやり直せないか、という電話が入るわけです。

最初、この映画を見た時は、自分から別れを言い出しておいて、図々しいと感じました。

でも、今回見直してみて、二人には気持ちを落ち着かせるための冷却期間が必要だった、それだけ傷が深かったんだとも思えました。

 

 

偶然の旅行者で印象に残ったシーン、会話など

最初の方で、犬を預かってもらうところを車で探すシーンがあるのですが、急ブレーキをかけた時に、助手席に乗っているエドワードがシートからずり落ちてしまうところは笑いました。

 

ミュリエルには、生まれつき虚弱体質で、たくさんのアレルギーを持つアレクサンダーという息子がいます。

 

ある日、メーコンはミュリエルからアレクサンダーを含めて、「今度3人で映画にでもどう?」と聞かれます。

メーコンは、「映画はあまり好きじゃない」と答えます。

 

「なぜ?」と聞かれ、「全てを誇張するから」と答えるんですね。

そのアンチテーゼとして、この地味だけど素晴らしい映画を撮ったような気もしました。

 

最後の方で、仕事でパリに来ていたメーコンが腰を痛めてしまい、兄弟たちに電話で応援を頼んだ時に、サラが来てくれるところがあります。

 

二人は一緒のホテルで朝を迎えるわけですが、朝のベッドでまだ寝ているサラに向かって、

「ミュリエルのところに戻る」と告げるシーンがあります。

 

その後で、メーコンは語ります。「大切なのはどれほど相手を愛するかではなくー相手にとって自分は何か」だと。

 

「変な女性(ミュリエル)に救われた」「僕に”誰か”でいるチャンスをくれた」

 

「今までの僕から抜け出し生きるために、君に僕は必要ない」「僕には彼女が要る」と。

 

妻のサラは、一人でもやっていける人間。

それに比べて自分は、ミュリエルなしにはもうやっていけない、

そういうことですね。

 

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まとめ

私はこの映画を20代の時に、銀座のテアトル西友で見ました。

時間が経って見直してみて、やはり自分はこういった小品というか佳作が好きなのだと再認識しました。

 

もちろん、アクションものや大作でも好きな映画はたくさんあります。

 

でも、再見した時に、1回目に見た時と違う楽しみ方ができると思うんですよね。

 

結局、どこをとらえておもしろがるか、だと思います。

 

映画は自分が知らない情報をわかりやすく教えてくれる面もありますし、見直すことで当時の自分を思い出すこともありますね。

世間的には知られていなくても、自分だけの名作があればより豊かな生活のきっかけになってくれる気がしています。

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