「心が叫びたがってるんだ」の成瀬順は吃音?名セリフと共に考える

映画

アニメ映画「心が叫びたがってるんだ」を観ました。

主人公の成瀬順には共感どころか、かつての自分自身だと感じました。

というのも、私は幼い頃からずっと吃音で悩んできたからです。

主人公が最初の言葉が出てこなくて苦しんでいる姿や、話そうとするとお腹が痛くなる場面など、切ない気持ちでいっぱいになりました。

 

今回は

  • 「心が叫びたがってるんだ」の成瀬順は吃音なのか?
  • 言葉の大切さを伝えてくれる名セリフ

について考察します。

 

また、この記事の後半では、

「心が叫びたがってるんだ」についての動画を掲載しております!

ぜひ合わせてご覧ください!

 

 

 

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「心が叫びたがってるんだ」の成瀬順は吃音なのか?

映画の中では、成瀬順の具体的な病名は示されていません。

 

幼い頃、自分のおしゃべりが引き起こした悲劇による自責の念と思い込みから、心因性失声症になった感じがしました。

 

私は最初、冒頭の言葉が出てこない難発性の吃音かと思いました。

(ちなみに私も、最初の音が詰まってしまうこの症状でした)

 

でも、歌うのも大変な感じだったので、吃音とは違うと感じました。

 

吃音もいろいろな種類がありますが、少なくても私や聞いた範囲では、歌はどもらない。

 

それに私は、話した直後、映画のようにお腹が痛くなったことはありませんでした。

 

私がお腹が痛くなったのは、朝学校に行こうとする時。

 

当時、出席簿で名前を呼ばれて、「はい」の返事ができないくらいどもっていましたから、それを想像するだけで、お腹が痛くなった記憶があります。

 

発語の時に、腕で反動をつけたりして余計な力が入るので、学校から帰ってくると両腕が痛くなっていた、なんてこともしょっちゅうでした。

 

ところで、心因性失声症ですが、ストレスや心的外傷などによる心因性の原因から声を発することができなくなった状態。

 

また、男性でも発症することはあるが、思春期や更年期の女性に発症が多く、精神状態が安定すれば元に戻ることが多いのが特徴ともありました。

 

成瀬順が発症したのは、思春期ではなく幼少期ですし、映画の中で母親との関係をとっても、精神状態が安定すれば元に戻る、というものではなかったですね。

 

そうなると考えられるのは、緘黙(かんもく)症

 

緘黙には「場面緘黙(選択性緘黙)」と「全緘黙」があって、前者の場合は特定の場所や状況によって、しゃべれたりしゃべれなかったりします。

 

一般に、家庭では普通に話すことができるのに、学校などでは言葉で話すことができない場合を場面緘黙ということが多いようです。

 

成瀬順の場合は、家庭でも話すのがきついので、全緘黙といっていいでしょう。

 

ところで、映画の中では心的外傷のことを、「玉子の呪い」としていますね。

 

「玉子の呪い」は主人公にとって王子である坂上拓実の想いによって、ひび割れ溶け出し、やがて解放されていく。

 

そして、映画の最後の方で、言葉の呪いをかけていたのは自分だった、と成瀬順自らが気づくシーンがあります。

 

この場面は感動的でしたね。

 

まさしく、昔の自分を見るようだったからです。

 

確かに、私が吃音になったのは、いろいろな要因があったと思います。

 

自分なりにやれることをやってきた、でも治らなかった。

 

そうした時に、自分はどもるからどうせダメなんだ、と勝手に自分で呪いをかけていなかったかと、思い当たったからです。

 

気持ちを楽に持つことができるようになり、自分を客観的に見る力が強まるにつれて、吃音は自然に消えていきました。

 

緘黙という症状は、吃音以上に世間的に知られていないと思うので、言葉の大切さを再認識する意味でも、この映画は観る価値があると感じました。

 

 

言葉の大切さを伝えてくれる名セリフ

まず、成瀬順から。

 

担任の先生城嶋から、「地域ふれあい交流会」の実行委員に任命された成瀬。

 

そんな彼女に対し、ひじの故障で挫折した元エース・田崎が言います。

 

「ミュージカルだってぇ~。そんなしゃべりもしない奴が実行委員にいてできるのかよ」と。

 

それに反発した坂上拓実が言い返して、クラスは険悪な雰囲気になります。

 

その時、成瀬順は勇気をふり絞って歌い出します。

「わ~た~しはできるよ」と。

 

こうやって言葉にすれば、単純な短いものですが、これはすごいことです。

 

中学時代、どうしても最初の言葉が出てこなかった私は、ある時最初の音を歌のように伸ばして言ってみました。

 

すると、確かに言葉は出やすくなったのですが、好奇の目で見られてしまい、その場限りになったものです。

 

まあ、一時的に話すときに使えるかな、とは思いましたが。

 

緘黙の人に実際に会ったことはないのですが、たぶん発語は吃音よりしんどいはず。

 

その彼女が、自らの存在と坂上を守るために発した言葉は、胸にグッときました。

 

成瀬順のもう一つの言葉は、これも胸に刺さりました。

 

「いい加減にしろ‥!消えろとか‥そう簡単に言うなっ!言葉は傷つけるんだからっ!絶対にもう取り戻せないんだからっ!後悔したって、もう絶対に取り戻せないんだからっ!」

 

この言葉に「心が叫びたがってるんだ」で言いたかったことが集約されている気がしました。

 

言葉は人を癒す力がある反面、徹底的に人を傷つけることがある。

 

コミュニケーションをただの情報交換でなく、気持ちを伝え合うものだという、他者への思いやりという視点が必要だと感じた次第です。

 

2人目に、成瀬順が好意を寄せる坂上拓実

(結局は、中学時代につき合っていた仁藤菜月に告白するわけですが)

 

彼の場合、実行委員会などで声高にしゃべった言葉より、

「何かが、誰かが100パー悪いとか、ダメとか、そういうのってきっとない。」というさりげなく発せられた言葉に魅かれました。

 

最後は、担任の城嶋一基。

 

職場放棄ともいえる成瀬順が、坂上拓実に連れられてミュージカルの舞台に間に合った時。

 

「な、起きたじゃん!奇跡」

「いいんだよ!だってミュージカルには、奇跡が付きものだろ」

の2つですね。

 

音楽に詳しい飄々としたこの先生がいたからこそ、ミュージカルの完成が見られたと思っています。

 

何かの事情で封印されても、どうしても心が叫びたがってしまうことってありますよね!

まとめ

自分が吃音でずっと悩んでいたこともあり、言葉を扱った映画に無意識の内に魅かれていた部分はあると思います。

 

今回見たアニメ映画「心が叫びたがってるんだ」は、吃音を扱った映画「英国王のスピーチ」よりも私の心に残るものになりました。

 

もうかなり昔ですが、テレビで「アニメのような2次元の世界で人間を描き切れるわけがない」というのを見たことがあります。

でも私は、題材次第ではむしろアニメや漫画の方が、実写版の映画より深く表現できるのではないか、と感じています。

 

受け手の感性によっては、アニメの方がメッセージを受け取りやすい人がいてもおかしくないはず。

 

「心が叫びたがってるんだ」の成瀬順は、吃音というより緘黙という症状だったでしょう。

 

でも大切なことは、過去にどういう症状で悩んでいたということではなく、彼女のように自分で呪縛をかけていたのだと気づくこと。

 

言葉を自在に操れる人でさえコミュニケーションは難しいものです。

勇気を持って、一歩を踏み出すことの大切さを教えてくれた映画でした。

 

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