ブレードランナー|ルトガーハウアー演じるバッティと作品の魅力の事

映画

先日、今年の7月25日に「ブレードランナー」でロイ・バッティ役を演じたルトガー・ハウアーさんが75歳で亡くなった、という記事を見かけました。

 

「ブレードランナー」は、1982年のオリジナル劇場版と、1992年のディレクターズカット 最終版を映画館で観ています。

 

ハウアーさんの冥福を祈ると共に、彼の演じたバッティと映画の魅力について振り返ろうと思います。

 

 

スポンサーリンク

ルトガー・ハウアーが演じたバッティとは?

 

まずは、ルトガー・ハウアーさんが演じたロイ・バッティについて。

 

映画の舞台は、2019年11月のロサンゼルス。(もうすぐなのでびっくり!)

 

人間たちはスター・ウォーズ(惑星戦争)に備えて、レプリカントと呼ばれる高度に発達したアンドロイドを製造していました。

 

レプリカントは、スペース・コロニー(植民惑星)における奴隷でもあったとのこと。

 

スペース・コロニーから脱走して地球に潜入したレプリカントが4人いて、そのリーダー格がバッテイです。

 

彼らは、レプリカント製造の最大手タイレル社が市場に出した、ネクサス・シックスという力も知性も際立った超高級レプリカントでした。

 

ただ、彼らはあまりにも人間に近かった。

それが悲劇の元になったわけです。

 

 

バッティの魅力とは?

 

バッティたちは、自分たちの創造者である、タイレル社長に会うために地球に帰ってきました。

 

自分の死期が近いことを知っているバッティは、タイレル社長に何とか寿命を延ばす方法がないか尋ねます。

 

そこで、社長から帰ってきた言葉は、「君らは完全だよ」

 

バッティが、「寿命が短い」と言うと、

 

「明るい火は早く燃え尽きる、君は輝かしく生きてきたんだ」

「君を誇りに思っている」と。

 

ただ、その後に、

「業績も上げた。命ある内に楽しめ」という言葉が続きます。

 

残された寿命は短いのだから楽しめ、と言われて

「はい、そうですか」という風にはいかないですよね。

 

この後、バッティは悲しそうな笑みを浮かべます。

そして、悲壮な表情なまま、生みの親であるタイレル社長の顔を握りつぶして殺してしまうのです。

 

私が、ルトガー・ハウアー演じるバッティに魅かれた一番の理由は、時折見せる諦観ともいった悲しそうな笑みでした。

 

ルトガー・ハウアーは、単なる肉体派ではなく、何か影を背負った屈折した役柄が似合う、

と感じた次第です。

 

 

また、映画の最後で、自分たちレプリカントの追手であるブレードランナーのハリソン・フォード演じるデッカードと対峙します。

 

バッティがデッカードを追っていく途中で、

「恐怖の連続だろう」

「それが奴隷の一生だ」といった言葉は、すごく胸に響きました。

 

 

そして、デッカードを追い詰める前に、バッティが白い鳩を抱いているシーンがあるのですが、これが美しい!

 

さて、自分の仲間を殺し、憎いはずのデッカードを危機一髪のところで救ったバッティは、語り始めます。

 

「俺はお前たち人間には信じられぬものを見てきた・・・」

 

そして、

「そういう思い出もやがて消える、時が来れば、涙のように、雨のように」

「その時が来た」

 

と言って、悲しそうな笑みから目をつむってそれきりになります。

 

後は、雨に打たれ続けるだけ。

 

こう生きざるを得なかった悲しみ、といったものが静かに伝わってきました。

 

 

ブレードランナーのバージョン別解説とまとめ

 

私が持っている「ブレードランナー クロニクル」には、オリジナル劇場版、インターナショナル劇場版 完全版、ディレクターズカット版 最終版の3本が入っています。

 

この3本について、監督のリドリー・スコットによるイントロダクションが収録されているので、紹介したいと思います。

 

最初の1982年のオリジナル劇場版。

デッカードのナレーションは、気に入っていません。

また、ラストでデッカードが恋人のレーチェルと逃げるというハッピーエンドも良くないと。

まあ、普通に考えて、あのラストシーンではあまりに唐突ですよね。

でも監督は、固有のファンはいる、という表現をしていました。

 

次のインターナショナル劇場版 完全版、私はこれはDVDで観ました。

バッティがタイレル社長を殺す残酷シーンが印象に残っています。

海外用・ビデオ用に数秒の暴力シーンを追加した、と言っていました。

 

このバージョンで、ビデオやレーザーディスクも発売され、新たな視聴者の獲得に

つながったとありました。

暴力シーンがあった方がよりリアルに感じられた、ということですかね。

この辺はよくわかりませんでした。

 

最後のディレクターズカット版 最終版。

リドリー・スコット監督が自分の意図により近いものを作ろうとした、とのこと。

デッカードのナレーションと、ハッピーエンドは除いた。

 

ユニコーンの夢は、デッカードはレプリカントである可能性を示唆した、とありました。

 

 

この後も、ファイナル・カット版、そして2049と続きますが、私の中ではディレクターズカット版で完結しています。

 

この素晴らしい映画を何度も見直し、自分なりに想像するのが楽しいと感じるからです。

 

ところで、1982年のオリジナル劇場版は、新宿東口の駅近くの名画座で2本立てで観ました。

 

もう一本は、確か「トワイライトゾーン」でしたが、こちらはその後あまり話題に

なりませんでしたね。

 

ブレードランナーのデッカード役は、もしかしたらハリソン・フォードでなくても

成り立ったかもしれない。

 

でも、バッティ役はルトガー・ハウアーでなければ成立しなかった、と感じています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました