許されざる者|クリントイーストウッド主演の最後の西部劇の魅力は?

映画

1970年以降にデビューしながら、こんにちまで4本もの西部劇を撮った監督は、クリント・イーストウッドだけ。

 

彼が最後の西部劇として映画化した「許されざる者」は、他の西部劇とどこが違い、どんな魅力を秘めているのか、について紹介します。

 

 

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「許されざる者」が最後の西部劇といわれる訳は?

 

監督、主演のクリント・イーストウッドは、インタビューの中でこう答えています。

 

「最後の西部劇を撮るとしたら、たぶんこれがそうだろう。

私の気持ちの総まとめみたいなところがあるから。

 

だから、きっとすぐに映画化しなかったんだろうと思う。

自分の最後の西部劇として、大事に暖めてきたのだろうと思う」と。

 

きっかけは、1980年代の初め、イーストウッドが1本の脚本を手にしたことから始まります。

「許されざる者」の脚本は1970代後半に書かれたものでした。

 

ただ、見事なその脚本の映画化権は、当時フランシス・コッポラが握っていました。

コッポラが権利を放棄した直後に、イーストウッドは映画化権を手に入れることができます。

 

ただ、イーストウッドはすぐに映画化しませんでした。

脚本に込められた、西部劇という枠を超えた重厚なドラマの中の人生を描けるようになるまで、胸の中で暖め続けたわけです。

 

再び脚本を手にしたのが、それから8年後の62歳の時といいますから、作品に対する思い入れの深さが尋常ではないことが伝わってきます。

 

さて、ずっと熟成するのを待って登場した「許されざる者」

私は、最後の西部劇というのは、西部劇の最終進化系という感じで受け取りました。

 

一般に西部劇というと、勧善懲悪で善と悪がはっきりしていますよね。

ですから、ある程度話が進めば、どちらが善でどちらが悪かが一目瞭然で、ストーリー展開も読めてしまいます。

 

でも、この映画は、中盤にさしかかっても、結局は誰と誰がどんな状況で対決することになるのか、全く予想がつきません。

 

話は変わりますが、マジシャンが手品に使うテクニックのひとつとして、ミスディレクションというのがあります。

 

これは、人の注意をそらして真実を隠すやり方、という意味があり、ミステリでも使われ、アガサ・クリスティーが名手だと思っています。

 

そう、「許されざる者」は、単なる西部劇ではなく、極上のミステリとしても観ることができる、と感じたわけです。

 

また、この映画では従来の西部劇が持っていた、センチメンタルな郷愁といったものが存在しません。

 

あるのは、誰がヒーローなのかわからない、主人公でさえ時にはぶざまだったりする、リアルなキャラクターであり物語です。

 

イーストウッドは、今の時代は単刀直入の冒険物語では観客は満足しないことを充分承知していたはず。

 

観客の意表をつくこと、ありきたりではないキャラクターや対立を提示して、観客に挑戦した作品といえるかもしれません。

 

次に、映画を見ていない人のために、簡単なあらすじを紹介します。

 

 

許されざる者のあらすじ

 

舞台は、1880年のワイオミング。

 

列車強盗や、女子供も殺す冷酷な殺人で悪名を世間にとどろかせたのが、クリントイーストウッド演じるウィリアム・マニーです。

 

ひと言でいうと、引退した元賞金稼ぎ。

 

今では過去から身を隠すように銃を捨てて、二人の子供と一緒に人里離れた地で家畜農場を営みながら密かに暮らしていました。

 

でも、過去から逃れられないというか、マニーの噂を聞きつけたスコフィールド・キッドという若いガンマンが訪ねてきます。

 

彼が言うには、町で二人のカウボーイが娼婦にナイフで切りかかり、商売道具の顔に重傷を負わせたと。

 

激怒した他の娼婦が二人のカウボーイに1000ドルの賞金を懸けたので、キッドはマニーと一緒に賞金を稼ごう、というわけです。

 

最初は断ったマニーでしたが、家畜はやせ細り耕作は順調ではない。

おまけに、3年前に妻に先立たれた身で二児を育てなければならない厳しさ。

 

結局、キッドの話に乗ることになります。

11年ぶりに銃を手にすることを決意。

 

でも、年老いていた体はなかなか自由がききません。

馬に乗ろうとしても、最初はコケてしまう始末。

 

2人の子供を残してマニーが最初に立ち寄ったのは、かつての相棒モーガン・フリーマン演じるネッド・ローガン。

 

事情を話し、子供たちの世話を頼むマニー。

だが、ローガンは一緒に行くと言って馬に飛び乗ります。

 

その頃、町ではジーン・ハックマン演じる保安官のリトル・ビル・ダゲットが町を牛耳っていました。

 

その後、賞金を稼ぐために町に立ち寄った伝説的殺し屋、リチャード・ハリス演じるイングリッシュ・ボブを叩きのめして町から追放。

 

酒場に一人いたマニーも、銃を所持していたとして、ダゲットに激しく殴られ、叩き出されてしまいます。

 

重傷を負い意識さえなくなったマニーを、ローガンとキッドは町はずれの安全な場所まで運び出します。

 

マニーを看病したのは、カウボーイに切りつけられ深い傷を負った、娼婦のフィッツジェラルド。

彼女のおかげで回復したマニーは、ローガンとキッドに追いついて、ほどなく追っていたカウボーイに遭遇します。

 

撃ち合いになり、とどめをさそうとするローガン。

でも、彼は人を撃つことができなくなっていました。

 

代わりにライフルを手にしたマニーは、カウボーイの胸に銃弾を浴びせます。

 

その後、ローガンは、家に戻ると言って、2人に別れを告げることに。

 

でも、家に帰る途中に、ローガンは殺人罪でダゲットに捕えられてしまいます。

 

何日にも及ぶ、ダゲットの激しいむち打ちによる拷問。

 

ついに、ローガンは息をひきとってしまいます。

 

そんな彼が最期に口にした言葉は、

「マニーは、ビリー・ザ・キッドより怖い男」というもの。

 

賞金をもらう際にその言葉を聞いたマニーは、もう人殺しはしないというキッドから拳銃を受け取り、ダゲットが待つ町へと向かいます。

 

その時、キッドは確かに見た。

マニーの瞳の奥に激しく燃える何かを。

 

 

主人公マニーの魅力とまとめ

 

薄暮時をバックに、「美しい娘クローディアは母の反対を押し切り、無法者のウィリアム・マニーと結婚し、その後天然痘で他界した」というナレーションが響きます。

 

女子供はもちろん、ダゲットと対決する映画の最後のシーンでは、マニー自ら「動くものは何でも撃った」と言うほどの徹底ぶり。

 

そんな極悪人とも呼べる男に、何で自分の娘が嫁いだのか、母親はついに理由がわからなかったとのこと。

 

でも、娘であるクローディアは、マニーは根っからの悪党ではないと見抜いていたからではないでしょうか。

 

人は育った環境や、周りの状況に影響されますからね。

 

誰でも善悪の二面性を持っていますが、マニーはその差が強烈に出てしまった感じがします。

 

二面性ということであれば、保安官のダゲットも。

 

彼は、イングリッシュ・ボブやマニーを半死半生になるまでぼこぼこにするし、ローガンに至っては死に追いやってしまう。

 

でも、独り身で、下手な日曜大工をしている普通の人でもある。

 

暴力的な支配とはいえ、ダゲットが銃規制をしたおかげで、町の治安が保たれたところはあるはず。

 

それに映画では、私腹を肥やすようなシーンもありませんでした。

 

この「許されざる者」は、ステレオタイプではない人間の様々な面を見せてくれるので、見終ったあと、考えさせられましたね。

 

この映画は映画館で2回観ましたが、機会がありましたら、またスクリーンで観たいです。

 

ところで、西部劇といえば、私がテレビで始めて見たのは「リオブラボー」でした。

 

勧善懲悪がはっきりしていて、見終ってスッキリした記憶があります。

 

確かに痛快でしたが、何度も見たくなるのは、やはり「許されざる者」ですね。

 

イーストウッドの他の作品も見たくなりました。

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